今から50~60年前まで、ここいらへんは見渡すかぎり畑だったんだよ。
・・・
家は青梅街道や五日市街道などの大きな道沿いにあるぐらいだったの。
・・・
青梅街道から玉川上水までずうっとまっすぐに自分の土地が続いているんだよ。青梅街道に面した場所は、ヒイラギの垣根になっていて、家屋敷があるのね。
そこを抜けると、小さな用水路があって、きれいな水が流れていたんだよ。用水路の向こうは竹やぶで、春になると、筍がたくさん採れるんだよ。
その先はずうっと畑が続いていて、ところどころ、お茶の木を一列に植えてあったね。それは作物の風よけにも、畑の仕切りにもなっていたんだよ。
畑の先は雑木林で、その向こうに玉川上水が流れていた。
-- 『市報こだいら』2012年1月号「こだいらちょっとむかし」より抜粋
用水と通りからの距離によって土地の使われ方が工夫された短冊の地割は、江戸時代の新田開発によるもので、いわばミニ里山だったといっていい。そこに郊外化の大波が押し寄せた。宅地化が、短冊単位でおこり、短冊農地と短冊宅地がランダムな縞模様のパターンが出現した。これは過渡的で、当然いずれは宅地一色になるものと思われていた。ところが風向きが変わり、農作物の育つ土が身近にあるこの環境に、都市生活者のほうが価値を見出すようになった。
本小特集では、農地と宅地が隣接していることをまちの魅力としてとらえて「プチ田舎」と掲げている小平市に焦点を当てた。「プチ田舎」の原点はどこにあったのか、小林市長にお話を伺った。市長には、都市農地について精力的に提言されている関さんと対談していただいた。
趨勢が宅地化に流されるなかで、小平市で営農を守っている農家さんは、大消費地東京にあることを活かしてどんな工夫をしているのか、小平市をフィールドに調査している杉浦さんによると、何をつくるか、どう売るのか、に加えて体験を組み込むことの3つを指摘できるという。
一住人として出口さんは、小平市で自分事から始めて「面白い」の共感を仲間に広げてきた。農は、自然体でその渦中にある。「プチ田舎」的イメージで都市農地がよいかたちで継承されるには、適切な制度も営農者の努力ももちろん欠かせないが、それ以上に肝心なのは、まちに暮らす人たちの主体的な行動ではないだろうか。
「地域開発」編集委員、東京大学教授
岡部 明子