<報告>
1999/10
 
■ふるさと大使全国大会 FIVE9
1999年9月9日 於:東京ステーションホテル

 「ふるさと大使」は1984年薩摩大使の制度化から始まり、最近の調査では地方自治体をはじめとする124団体が約9,000人の大使・特派員を委嘱している。ふるさと大使はその土地の出身者ということに限らず、何らかの縁(ルーツ、転勤、その土地が好きだ等)で「ふるさと」の応援・宣伝をしてもらうよう委嘱される制度。大使相互の情報交換が求められ、平成8(1996)年8月8日に99名の参加を得て「全国ふるさと大使連絡協議会」が発足、2年目は平成9年9月9日に「999(スリーナイン)」を、そして3年目を迎えた本年は1999年9月9日で「ふるさと大使全国大会 FIVE9」として開催された。代表幹事である中馬邦昭氏は「老舗」である 薩摩大使をはじめ4つの大使を委嘱され活躍されている。しかし、幽霊大使、義理大使となっている大使も数多くあるようだ。また一方では岩木山ふるさと大使のように「なりたい」と手を上げて委嘱されるところもある。変わったところでは、木曽ふるさと大使に北九州市在住の木曽馬“幸春号”が任命されている。ふるさと大使制度・その活動については本誌1998年9月号の特集「地域応援団・ふるさと大使」を参照されたい。
 以下、3部構成で開催された今大会の模様を紹介する。

主 催
全国ふるさと大使連絡協議会(代表幹事・中馬邦昭)
後 援
国土庁/農林水産省/日本開発銀行/北海道東北開発公庫/地域振興整備公団/財団法人日本地域開発センター/財団法人ふるさと情報センター/日本放送協会/日本経済新聞
会員数
約150名(今大会:会員59、大使33を含む170余名)

 大会は後藤純雄実行委員の開会宣言で幕をあけ、続いて中馬邦昭代表幹事より3年間の活動状況について次のように報告された。
 最初の2年間は勉強会として「情報交流会議」、交流・懇親の場としての「ふるさと大使サロン」を原則隔月として開催、大いに成果を収めた。しかし、設立発起人・代表幹事など中心となって活動していた方々の職場の異動にともなって、これらの活動はやや消極化したようだ。それに引き換え、機関紙・ニューズレター(ふるさと大使かわら版)は編集責任者を持ち回りにした結果、号を追って充実したものとなってきて、大使からは大変評判がいい。残念なことに委嘱した団体の反応はもう一つであり、これがこれからの課題であろう。
 また、今後の活動については情報交流会議とふるさと大使サロンの活性化、積極的登録会員獲得運動、ふるさと大使かわら版の更なる充実とホームページの拡充があげられ、2000年4月にはNPOとしての再スタートすることを目指したいと述べられた。
 第2部の記念シンポジウムは『わがまち、わがふるさと』と題し木曽ふるさと大使であり、NHK解説委員の平野次郎氏と中馬代表幹事の対談が行われた。
 平野氏は生まれも育ちも東京。祖父母の縁で木曽の大使となっており、どこの大使でもやってみたいとおっしゃる。「たいしたこともしないから、大使」といいながらもふるさとの名酒を取り寄せ、宣伝につとめているようだ。
 「『ふるさと』という言葉への感覚が若い世代にはうすれて、ついにはなくなってしまう言葉ではないか」という中馬氏の危惧に、「世代間の感覚の違いはあるだろうし、変質はしていくだろうが、人間はむしろ年をとると自分の本質を探し、精神的なふるさとを求めるのではないだろうか」と平野氏。「ふるさと」をどう捉えるかという問題に、それぞれのかかわり方から思いが語られた。最後にふるさと大使の役目には、地域を覚えてもらう、特産品を広める、地域づくりへの提言の3つがあるが、なにか提言をと中馬氏に求められ、「その土地を離れているということは、複眼的に見ることができる――時に批判的に、時に建設的に、地元の人の気づかないことに気づく――ことではないか」と平野氏。
 「ふるさとへの思いと地域への恩返し」これを大使がどのように実現していくかをこの機会に大いに語り合っていただきたい、と中馬氏が結んで対談を終えた。
 つづく第3部の懇親会は紀の国大使の新藤栄作氏(俳優)の乾杯で始まり、「ふるさと」を自信を持って紹介している大使の方々と参加者は、各地から届いた名産品コーナー(12大使から各地の地酒・特産品が届けられた)で陸前高田の胡瓜を、和歌山のあしべ焼きかまぼこなどをツマミに、木曽の地酒「杉の森」あるいは、水戸市長からの「副将軍」を酌み交わして、互いの情報交換と交流に懇親会は盛り上がりを見せ、午後9時9分にお開きとなった。

 地域づくりにはアドバイザーとして地域に入り、地域の財産を掘り起こす手伝いをする制度もあるが、この人々が「耕す人」であるとするなら、ふるさと大使は、耕された土地の収穫を売り歩く「セールスマン」であろうか。情報発信に一役買い、それぞれの心にある「ふるさと」を売り歩き、大使自身もそれによって「ふるさと」への“おもい”を強める。そうして全国の大使が自分の周りからその「ふるさと」へ行ってみたいと思う人を増やしていくことができれば、その地域は注目され輝いてくるのではないだろうか。ただ、外への発信に気を取られ、本来その地域にある宝を大事に守ることもしないと、却って「ふるさと」を荒らしてしまうことにもなるかもしれない。「ふるさと」の良さを心をこめて語り、そこへ行った人がその土地の「ふるさと大使」になりたくなれば大使の役割が果たせたことになるのではないだろうか。

(編集部・吉成雅子)


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