<地域振興の視点>
2001/07
 
■中国の辺境に定着する韓国中小企業
編集委員・一橋大学 関  満博

 中国が経済改革、対外開放に踏み出して20年を超えた。この間、日本をはじめ世界の企業が中国に進出していった。日本企業もプロジェクト件数では99年末の段階で約18,000件に上るとされている。また、日本企業の進出は地域的にみるならば、上海、大連といった沿海の主要都市に多く、やや北に傾斜している。さらに、進出のスタイルは「輸出生産拠点」の形成に主眼が置かれていた。こうした事情から、日本企業の中国進出を追跡する私も遼寧省から天津、山東省などに踏み込むことが多かった。
●韓国企業の中国北部への進出
 だが、このエリアには90年代に入ってから、韓国企業の進出も目立ってきた。大連では日本企業の存在感が圧倒的だが、瀋陽、天津、青島等の都市では、韓国企業が優越している印象を受けることが少なくない。韓国企業の中国進出は韓中国交樹立の92年夏以降活発化したのであり、山東省〜天津〜北京〜河北省〜東北地方という韓国に近接しているエリアへの進出が顕著にみられる。
■丹東から臨む朝友誼橋と北朝鮮の工場群
事実、2000年11月の韓国輸出入銀行の統計によると、韓国企業の進出件数は累計で4,840件、そのうち山東省〜東北地方の範囲は4,060件と約83.9%を占めているのである。
 従来、日本企業の目立ち過ぎとされていた東北地方で、韓国企業の積極的な進出がみられることは、今後の北東アジア地域における日韓中の産業協力の可能性が拡がっているものとして歓迎すべきであろう。
 以上のような視点から、この2〜3年、私は中国に進出している韓国企業の現場調査をかなり精力的にこなしてきた。この3月にも、遼寧省の大連〜丹東〜瀋陽という朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する三角地帯に踏み込み、およそ20社の韓国企業の訪問調査を実施することができた。そして、特に、中国に進出している韓国の中小企業について、興味深い事実を確認することができた。
●丹東/北朝鮮を視野に入れた進出拠点
 遼寧省丹東。ここは鴨緑江を境に北朝鮮の新義州と接する都市であり、鉄橋2本が並んでいる。1本(鴨緑江端橋)は朝鮮戦争時代に米軍の爆撃を受け、北朝鮮側の橋桁は落ちたままである。中国側は健在であり、川の中央まで行くことができる。橋の先端で振り返る中国側の川べりには豪華なホテルなどが立ち並んでいたが、対岸の北朝鮮側は古びた工場の煙突からかすかな煙がたなびき、遊園地の観覧車は止まったままであった。さらにもう1本(中朝友誼橋)は鉄道と自動車用の両用橋であり、朝夕には何台かの列車やトラックが行き来していた。
 この丹東は中国の沿江開発地域に指定されており、特別の優遇策がある。だが、外資企業の進出は明らかに言葉の問題で地元の朝鮮族に期待し、また北朝鮮の開放を視野に入れた韓国企業にほとんど限られているようであった。世界の目はかねてより北朝鮮国境としては、北の図們江開発に向けられていたが、図們江周辺は依然として凍りついたままであり、ここしばらくは動きが見られそうもない。むしろ、ソウル〜平壌〜新義州〜丹東〜瀋陽〜
■丹東の韓国中小企業/女性用下着
北京のラインに注目が集まりつつある。丹東は21世紀の北東アジアの焦点として浮かび上がりつつある。
 こうした事情を背景に、丹東の南には韓国仁川市による「仁川丹東産業団地」(約45ha)が形成されていた。これは韓国の人件費が上がり、仁川市内の中小企業の中国進出を支援するものとして計画されたが、97年の韓国経済危機から進出企業が極端に少なくなり、現状では縫製メーカーと染色メーカーの2社が進出しているにすぎない。ただし、現地の韓国人駐在者によると、韓国経済がやや落ち着いてきた現在、近々、相当数の韓国企業が進出する見通しのようである。
■丹東/仁川丹東産業団地
  まだ2社しか立地していない
 いずれにしても丹東は北朝鮮との窓口であり、朝鮮族も多く、北朝鮮を視野に入れた韓国企業にとって重要な進出拠点を形成しているように見えた。市内の川沿いに形成されている「丹東沿江経済開発区」にはハングルの看板がかなり目立っていたのであった。
●家族を帯同する韓国中小企業

 中国進出の韓国中小企業の現場調査で実感することは、彼らは実に逞しいということである。経営者自らが現地工場に住み込み、家族を帯同、さらに子供を現地校に入れているケースが非常に多い。そして、経営者みずから家族で現地化していることが、従業員や地元政府に深い信頼を与えていることも興味深い。
 これに対し、比較的居住条件の良い大連や上海などでも、日本企業で経営者自らが乗り込んでいるケースは極めて少なく、家族帯同は一部にみられるにすぎない。帯同している場合でも、子弟は日本人学校に入れている。また、子供が小学校高学年になると、教育問題を気にして母子で帰国、駐在者は単身となるのが普通である。
 他方、韓国の場合は、中学高校の6年間のうち3年以上外地を経験した若者は、大学受験で大幅に有利になるなどが伝えられている。せっかくの海外経験を活かし、国際人材を養成しようということのようである。
 こうしたことは、数年前からの天津、青島等での韓国企業調査を重ねる中で、痛感されていたのだが、今回(2001年3月)の丹東〜瀋陽の調査では、さらに底流に横たわる構造がよく見えてきた。
●現地に定着する韓国中小企業
 韓国は大家族主義であり、家族の絆が非常に強く、そして、特に男性は「強く、逞しく」育つことが求められている。ソウル大学に進学することが全国民の最大の目標とされており、厳しい受験戦争が繰り広げられている。さらに、ソウル大学進学以外でも、ビジネスでの成功など、いくつかの成功の流れはある。
 だが、韓国では事業等に失敗した場合、リターン・マッチは日本以上に難しいとされる。そうした場合、反発のエネルギーを蓄えるのはむしろ奥方であり、失意の配偶者を「海外で一旗上げろ」などと叱咤激励していく。今回、お目に掛かった方々の中にも、奥方に20万円ほど渡され、「これで中国でも見てきなさい」と送り出されてきたケースもあった。
 そして、外地に出され、帰る場所を失った韓国人男性は、異国の地で必死に働き、少し芽が出てきた頃になると、奥方が子供を連れて合流し、共に苦労を重ねていく。男性が強そうにみえる韓国は、実は女性が実にしっかりしており、男性は女性の掌の上に乗せられているのが実態のようである。
 合流した家族は工場の3階などを改装して住まい、子供は現地校に通う。そして、中学、高校を過ぎると、母親が叱咤激励し、中国のトップ校の北京大学や、アメリカ、カナダなどの有力大学に進学させていく。この間、韓国には何の資産もなくなっている場合が少なくない。完全に外地に定着していくのである。
●息子に「山」を登らせる
 ある経営者の家庭に招待されたが、奥方は「ここの方が物価も安いし、よけいな雑音も入らず、生活し易い」と語ってくれた。
 また、今回出会った丹東の経営者が興味深いことを言ってくれた。その方は、韓国で事業に失敗し、中国に逃れ、中国でも失敗を繰り返し、ようやく事業基盤を形成したというものである。木工工場(約100人)とホテルを経営していた。当然、家族は丹東に来ている。彼は鴨緑江上流の凍てつく北朝鮮の大地を臨み、遠い目をしながら「私の代では『山』を登れないかもしれない。だが、息子には『山』を登らせる」とつぶやくのであった。
 翻って、日本の中小企業の中国進出の姿をみると、経営者が常駐しているケースは極めて少ない。まして、家族帯同は子供が幼少の時に限られている。大半はその中小企業のナンバー2か3が単身で赴任している。もちろん、駐在している方は必死に取り組んでいるであろうが、韓国中小企業のケースと比べると「必死さ」の度合いが違う。いま一つ地元との信頼関係形成という点においても劣っているように見えた。
 もちろん、韓国と日本の置かれている状況は違う。豊かになった日本には「必死さ」が見えにくくなっている。こうした違いが将来をどのようにしていくのか、辺境の凍てつく丹東の地で、北東アジアの将来と「必死さ」を失った日本の位置をぼんやりと考えていた。

(せき・みつひろ)


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