<まちづくり散歩>
2004/08
 
■代官山+ヤマハパッソル

 「コラボレーション」という言葉がよく聞かれる。これに対応する日本語として「協働」という言葉がつくられたが、単に助け合って働くことをこえて、思いがけない組み合せが、新しい可能性や成果を生み出すことがある。
 「代官山+ヤマハパッソルパネルデザイン展」という案内をいただいた。代官山の商店と企業のコラボレーションだという。電動スクーターヤマハ「Passol」のシート下パネルに、『代官山らしさ、自店らしさ』をテーマにデザインを募集したところ老舗からニューショップまで、業種もさまざまな57店舗が応募した(写真1)。自店のイメージをアピールしたもの、商品とコーディネートさせたもの等々、各店がアイディアを凝らした作品が集まったので一堂に集めて展示する、というのだが、どうも良くわからない。何がどう「コラボレーション」なのか?
■図 代官山エリア
出かけることにした。東京の山手線渋谷駅から東急東横線で一つ目に「代官山駅」がある。代官山をどこからどこまでと捉えるかは人によるらしいが、図にあるように、広く捉えて山手線、駒沢通り、山手通り(環状6号線)、玉川通り(国道246)で囲まれたエリアであろう。ちなみに、筆者にとって「代官山」は八幡通りと旧山手通りの交差する辺り、現在のヒルサイドテラス、代官山アドレスの一帯である。
■写真1:お店によってはこのように
  商品とコーディネートさせている。
 http://www.daikanyama.ne.jp/
     passol04/topics03. html
  子どものころから学生時代、自宅から渋谷への往復でバスの車窓から親しみと憧れを持って見たまちである。なんとなくモダンな住宅街で親しみを感じるのに、うかつに入ってはいけないような、決して排他的ではないがちょっと敷居が高い上品な街だと感じていた。こんなところに住めたらいいなあ、と憧れを抱くまち。それは、同潤会代官山アパート、代官山東急アパートという、当時としては先進的な住居があり、そういう住まいに住むモダンな生活スタイルが想像されたからのように思う。
 さて、会場を訪れてみると、57店の想いが伝わる作品がずらりと並び、そこから生き生きとしたまちの息吹が感じられる。このデザインはホームページに掲載されているが、やはり直に見るとなにか伝わってくる。展示会を主催した代官山ビジネスネットワーク(DBN)事務局長の岩橋謹次さんにお話を伺った。そもそもは昨年の夏、ヤマハ発動機株式会社(以下、ヤマハ)の「パッソルで代官山ステキ体験!」キャンペーンから始まったそうである。代官山は美しい街並み、高感度で環境意識が高く、文化情報発信エリアであり、女性もターゲットにできる。環境にやさしい新しい都市の乗り物として、従来の販売網にはないターゲットに向けてアピールするのに適しているということであったようだ。
 11店舗が協力し、Passolは好評を得て、お店だけでなくまちづくりに活用されることになっていった。ヤマハの辻秀将さん(EV普及推進チーム主事)は「最初は市場調査的な目的もあったが、まちづくりへ参画することで企業の社会貢献としての意義を感じ、それがPassolを活用したエコパトロール隊(写真2)、今回のパネルデザイン募集へと発展するにつれて商品にもふくらみがでてきて驚いている」と話して下さった。
■写真2:Passolとエコパトロール隊。
  おそろいのユニフォームで町を巡回し、
  環境チェック、安全チェックをする。
  http://www.daikanyama.ne.jp/machi/
  ecobbs/index.html
 そして、DBN事務局によると、今また、このコラボレーションは新たな展開を始めたそうだ。
 恵比寿・代官山地域の交番と住民とのふれあい活動に対し、その連携の重要性に共感したヤマハは、貸与・贈呈をあわせて15台のPassolを提供することを決め、さる7月6日に贈呈式が行われた。先ごろも渋谷で発砲事件など起こり、まちの安全に不安のある中で、夜間でも音が静かな乗り物としてパトロールなどでの活躍が期待できる。
 代官山の歴史やまちづくり活動に関しては岩橋さんの著書『代官山―ステキな街づくり進行中』(繊研新聞社刊、2002.1)に詳しいが、岩橋さんは「まちづくりはマーケティングだ。なぜなら、さまざまな人々との良好な関係作り、これがマーケティングであるとすれば、まちづくりの主役は人であり、さまざまな立場の人々の意見を聞き、相互の理解をいかに深めるかが、その一歩となるからである」とおっしゃる。しかし、代官山の住宅街のよさに惹かれて、お店を出したい人が入ってきて、商業施設が増え、訪れる人が増える、決して悪いことではないのだが、反面、まちが雑多になっていき、住宅地としての代官山らしさが損なわれてくる面もあるのではないかと、岩橋さんは近頃少し心配になっている。

 代官山の現在は1969年のヒルサイドテラスから始まるだろう。商業施設を呼ぶのではなく、文化情報発信の地として、それまでもそれぞれに自分たちのまちを大事にしてきた地域住民が、ヒルサイドテラスの誕生を契機に、静かに着実に自分たちのまちづくりを進めて、「代官山ブランド」を育てた。それから31年、同潤会代官山アパートが再開発事業として2000年に「代官山アドレス」に生まれ変わり、代官山のまちづくりはまた新たなステージを迎えたようだ。本年4月には岩橋さんをはじめ、代官山に熱い想いを抱き活動をしてきた人々が集まって代官山のまちづくりを考えるネットワーク組織「代官山ステキな街づくり協議会(略称代スキ会)」が発足した。次のステージがどのような輝きを放つか、楽しみである。大きなエールを送りたい。
(編集部・吉成雅子)

記事内容、写真等の無断転載・無断利用は、固くお断りいたします。
Copyright (c) 2003-2004 Webmaster of Japan Center for Area Development Research. All rights reserved.

2004年08月号 目次へ戻る